翠星のガルガンティアとロボットアニメ

翠星のガルガンティア」を4話まで観ました。最高に面白かった。王道のロボットアニメであり、良質のビルドゥングスロマンになりそうと感じました。

なぜロボットアニメ=ビルドゥングスロマンは面白いのか。それは少年がロボットという力を得て外の世界に飛び出し、成長する姿が人の共感を生むからです。
主人公のレド君は無敵の力を持ち、冷静で的確な判断力も持ち合わせています。これは昨今のアニメのトレンドに沿った、ポピュラーなキャラクター造形です。しかしロボットアニメで無敵な主人公をやり過ぎると、世界観に歪になる恐れがあります。近年の無敵な主人公のさきがけである「機動戦士ガンダムSEED」では、その雄姿が視聴者に大いに支持されましたが、主人公の周りに子供と、主人公を礼賛する大人しかいない環境の異常さを批判する声も一部でありました。

ガンダムSEEDが大人が子供と対立する時代の終わりを告げてから、10年が経ちました。ガルガンティアにおける大人も科学的技術においてレド君に圧倒的に劣り、野蛮です。しかしレド君もまた、地球の社会については全くの無知です。
レド君は文明レベルの劣る異郷の人々から食べ物を貰い、仕事を果たし、徐々に地球の社会の仕組み、人間らしい暮らしを学んでいきます。ここにスタッフの〝大人もまだ捨てたもんじゃないんだぜ〟という意志を感じました。
2話ラストの海賊殲滅からの3話の和解への流れは、ブライトさんに殴られたアムロを思い起こします。少年の全能感と社会との擦り合わせは、ロボットアニメの王道的テーマです。
ガルガンティアに登場する地球の人々は、おおむね皆善人です。当初は余所者であるレド君を警戒し、排斥しようとする人もいましたが、徐々にレド君と打ち解け、レド君は船団での居場所を手に入れつつあります。
しかしロボットアニメにおける善人が、退場しなかった例はありません。ガンダムリュウ・ホセイも、エウレカセブンビームス夫妻も短い登場期間の後に死んでいきました。善意ある大人の庇護の下では、少年は大人にはなれません。そもそも外宇宙の戦争を置き去りにして、レド君が地球という楽園に落ち着いてしまっていいのかという疑問もあります。いずれ必ず、今のレド君と船団の関係をぶち壊す存在が現れるでしょう。

でもたとえどんな破滅的な展開になろうとも、最終的にレド君が世界に対して絶望して終わるような結末にはならないでしょう。1話ラストを観てそう感じました。
あのレド君が生まれて初めて見た夜明けの空の美しさは、〝世界はこんなにも美しいんだぜ、お前が思ってるほど冷たくて悲しいものばかりじゃないんだぜ〟とスタッフがレド君に、それを観ている少年少女たちに訴えているように感じました。
翠星のガルガンティア」の今後の展開が楽しみです。